私たちは非営利の私的サークルです。コンピューターの技術、テラバイトデータの歴史、構造化知識研究などについて勉強しています。
NEC「キュウハチ」黄金時代
NECは、通称「キュウハチ」と呼ばれるPC-98シリーズを1982年に発表、1990年代初頭まで、日本のパソコン業界に君臨した。この98シリーズは、基本ソフトに米マイクロソフト社のMS-DOSを使用した「DOSマシン」が、初代のPC-9801以来、日本語機能を付加した独自のマシンとして評価を高め、使用ソフトウエアや周辺機器の豊富さと相まって、ベストセラー機にのし上がった。
日本市場の事実上の標準機
パソコン市場では、ソフトウエア開発会社は、売れているパソコンに使えるソフトを優先的に開発する。使用ソフトの蓄積が増えると、また、そのパソコンが売れる。これは、周辺機器の場合も例外ではない。PC-98シリーズは、このような相乗効果によって、日本市場の事実上の標準機としての地位を固めた。
日本IBMのDOS/V
このようなNECの牙城の対抗勢力として台頭したのが、DOS/Vである。DOS/Vは日本IBMが1990年に発表したOSで、基本的には前記MS-DOSと同じだが、漢字ROMのような特別のハードウエアを付加せずに日本語処理が可能になった。IBMがその仕様を公開、世界市場の標準機であるPC/ATと呼ばれるIBM互換機への搭載が可能になったため、いきおい日本市場での「台風の目」になった。互換機の特徴として、海外で開発された膨大なソフトウエアが利用できる利点に加え、高性能のパソコンが低価格で供給される魅力も大きかった。
国産メーカーが次々と参加
日本市場でこのDOS/V陣営を形成したのは、当の日本IBMに加えて東芝、日立製作所、三菱電機、ソニー、リコーなど、圧倒的多数を誇る国産メーカーだった。 1992年12月には、FM-R、FMタウンズなどの機種で独自設計路線を歩んでいた富士通が参画。同陣営によるNEC包囲網はいっそう強固なものになった。
日本の初期のマイコン活用「インベーダー」ゲーム
日本の半導体業界にとって、初期のマイコンを活用した事例として有名なのが、ゲーム機「スペース・インベーダーズ」だ。 1978年に発表され、1979年から一大ブームを巻き起こした。 高度なマイコンを組み込むことによって、人間とコンピューターが戦うソフトが簡単にできるようになった。 その成果物が、インベーダーである。
タイトーが「ブロックくずし」に対抗
当時一番人気があったのは「ブロックくずしゲーム」だった。 タイトーの営業部門は、ブロックくずしに対抗できるゲームを自社の研究所に要請する。
真似ゲーム裁判で勝利
インベーダーブームは、思わぬ副産物も生み出した。 インベーダーブームを真似したコピーゲームを発売した会社に対し、タイトー側が起こした損害賠償請求に対する東京地裁の判決がそれだ。 「コンピューターのソフトウエアも著作物に当たる」という初めての判断が下された。
ゲーム店の営業時間規制
もう一つの副産物は小学生など低年齢層もゲーム店に入りびたりになるようになり、「非行の温床になっている」と問題化、 ゲーム店の営業時間規制へと発展した。